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きたたんの、ちょっと続き。病院から発送される直前に抜け出した四宮兄弟。
いつもと違う雰囲気にテルは酷く怯えていた。
「……………」
夕食を咀嚼する口を黙々と動かしながらも、そっと窺う先の北見はやけに上機嫌だった。
他人から見ればいつもと変わらぬ、冷たさすら感じる仏頂面でしかないだろう。だが付き合いが濃いテルには、北見がそろそろ鼻歌でも始めてしまう錯覚さえ覚えてしまい、そして、そんな思考が彼を酷く怯えさせた。
「どうした?」
「いやっ……、何でも……」
さすがに不審な様子を見咎めた北見に見下ろされたテルだったが、どもるように俯いて、ドリアをかき回す振りをする。
「珍しく進んでないな。
口に合わないか?」
テルが、夕飯を行儀良く片付けるタイプではないことは、もはや諦められている。
しかし、社会人として一般的なマナーを身につけさせる必要を感じた北見によって、時にグラタンやドリアなどの「冷静さを必要とする」意地悪なメニューが用意されることがある。
そのほとんどが口に膨大な水脹れを作るだけに終わったが、懲りないテルに倣ってか、北見もまた思い出したように彼を躾けてこようとするのだ。無駄に感じたことはないが、北見の意図を知っているだけに逆に申し訳ないような気持ちにすらなる。でも、北見の作る食事が美味くなければ、チーズがぐつぐつ煮えたぎるグラタンにがっついたりしない。そうだ、北見のメシが美味いのがいけない! などと、間違った方向に怒りの矛先が向かってしまうのだが。
「あ、や、そんなことないッス。
スッゲー美味いッス!」
「………?」
誤魔化そうとするテルに対して、北見は不思議そうに首を傾げるだけで、決して苛立つような素振りはない。中途半端なテルの態度を見逃したことのない北見にして、これはまさに青天の霹靂。
「……いや、ただ。
なんか、あったのか、な……と思って」
「『なんか』?」
片眉がひくりと動くのも、北見の感情の流れを読みなれたテルにははっきりとした兆しであった。
だが、予想に反して北見は考えるように沈黙するだけで、感情をテルにぶつけてくることはなかった。
「いや、何も」
「……オレが来る前に、
何かあったみたいなフンイキだったけど」
今朝。
遅刻して駆け込んだ医局がおかしな雰囲気だったことはテルも気づいていた。何しろなぜか医局に、あの蘭木長船がいたのだ。
しかし、番である四宮蓮の姿がはそこにはなく、北見が大きな箱を事務に引き取らせるといつの間にか姿を消し、そうこうしている間に麻酔科の二人と整形の青木もすぐに散会していった。
展開においてきぼりにされたテルはその後、捕まえた青木に説明を求めたのだが、彼は短く首を振っては何もなかったと機械のように繰り返すばかりだった。麻酔科二人に関しては、どちらもあの毒気のない天真爛漫な笑顔で、次は上手くやろうねだの、いやぁ失敗したったいと、さっぱり訳の分からないことを悔しくもなさそうに言い合っていた。
ますます疑念を抱くテルが、四宮慧が出勤していないことに気づいたのは昼も過ぎてからだった。
北見に尋ねようにもシフトが微妙にすれ違っていたため、会話するどころか彼の姿を見る機会もなかったテルが途方に暮れていたところ、ひょっこり現れた四宮慧は酷くご機嫌斜めだった。
どこにいたのかと問えば、棘のある物言いで「いたよ、ちゃんと病院に」と返されるだけ。
今日は本当に、わけがわからない日だ。と、そう悩むテルに追い討ちをかけるように、午後から現れたのは四宮蓮。
朝見かけないので、てっきり蘭木が一人で何かの使いに来ていたのだと思っていた。
この時も、別行動をしているのかと思っていて、やあと声をかけてくる蓮に「蘭木先生が、朝来てましたよー」と挨拶すれば、彼もまた「俺も一緒にいたんだよ」の言葉。目の前の蓮は、いつもの飄々とした笑顔を浮かべているのに、なぜか遠くに挑む眼差しでテルのずっと後ろの方を見つめているようだった。
「? 医局にはいなかったですよね?」
「ううん、ずっといたんだけどね。
途中からは別のところにいたけど」
「………オレ、遅刻したんスよ」
「ああ、知ってる知ってる。テル先生は本当、朝から元気だね」
「…………?」
蓮の言葉を理解できずに、とうとう沈黙してしまうテル。
「北見先生にこう言っておいてくれるかな。
今度一緒にアマゾンにでも行こう、ってさ」
「…………………はぁ」
「じゃあまたね、テル先生」
「あ、はい……また」
テルがどう返すべきか悩んでいる間に、四宮蓮はあっと言う間に医局を出て行った。
北見への伝言と言われた言葉を思い返して、何とか単語を繋げようと努力するテルだったが、どうしても、北見と四宮蓮、アマゾン、の単語が一つのイメージにまとまる事はなく、彼の頭はますます混乱した。
そして結局、聞いた内容と伝える内容がすれ違う。
「そう言えば、蓮先生がアマゾンで買い物しようねって伝言」
「…………?」
「ん? 何か違ったっけ??」
あれー? と唸り声を上げながらテルは頭を捻る。
しかしすぐに、どうでもいいかと思い直す。どうせ四宮蓮のことを蛇蝎のごとく嫌っている北見なので、その伝言が合っていようと間違ってようと、実現することはないのだから。
「それで、蘭木先生は何しに来てたわけ?
何か、リボンついたでっかい箱が―――」
そこまで言って、気づいた。
「あ! 今日、誕生日?
今日、北見誕生日だ!」
大慌てで喚きだすテルとは対照的に、北見はつまなさそうな表情で一瞥をくれ、ソファに腰を下ろす。
「思い出さなくても良いことを……」
「なーに言ってんだよ! 大事なことだろ!
誕生日は、正月とかお盆とかと同じで、一年に一回しか来ないんだから!」
だから祝う価値があるし、祝わなければならないのだと力説を始める。しかし、そうして熱のこもったテルの講義すら、北見は理解できないとでも言いたげに溜息を吐いて聞き流してしまう。
その無関心さが、逆にテルの焦燥感を煽った。
「ケーキ買ってくる!」
「いらん座れ」
すぐにでも駆け出しそうな勢いで立ち上がるテルは、北見に足を掴まれて押し留められた。
「でも、お祝い!」
「お前が食いたいだけだろうが!」
「オレも食べるけど、北見も食べなきゃだめだろ!」
「誰が食うか。良いから座れ!」
「でもー……」
テルがぐちぐちと口を尖らせた所で、北見の一睨みであっさりと抵抗は封じられてしまう。
この分かりやすい関係を、これまでも続けてきたはずなのに、テルはいつも肝心なところを読み違えて痛い目を見る。
精神的にも、もちろん肉体的にも。
渋々ソファの端に尻を下ろす。すぐにでもケーキを求めて駆け出せるように浅く腰掛けた。
北見はそれを見抜いているようで、足を掴んでいる手はあくまでも放そうとしなかった。
そわそわと落ち着きのないテルでさえ、北見に真正面から見つめられたら息すら止まる勢いで硬直する。誰だって、こんなに美しい男の真剣な眼差しに射抜かれたら、それこそひとたまりもない。多少の耐性のついているテルですら、睨むのとはまた違う、あの真っ直ぐな視線の前では魂を抜かれたように大人しくなる。
「それより、欲しいものがある。祝うつもりはあるか?」
「……あ、ります……」
言い知れぬ魅力は、ただ北見の顔が整っているからだけではない。彼が、熱を込めて見つめている相手が、自分だけだと知っているからだ。
その上で、この瞳を逸らせられる人間がいると言うなら教えて欲しい。なぜ、捕らわれずにいられるのかを。
「食事は我慢できるか?」
「へ……?」
問われた言葉の意味を反芻する間もなく、馴染んだ感触に唇を捕らえられる。
反射的に瞳を閉じてしまうのは、礼儀ではなく、近すぎる北見の瞳から逃れるためなのかも知れない。だって、ひと一人分の空間を開けていても魅了されてしまうのに、キスの距離で見つめられたら、どうなってしまうか分からない。どれだけ数を重ねたところで、今だって、こんなに震えているのに。
瞳を閉じれば、北見から与えられる愛撫にだけ神経を向ける。
柔らかい舌が慣れた動きで唇をこじ開けても、歯列を割ってこちらの舌を絡めとろうとしても、テルは大人しく従った。息が苦しくなると、北見の舌は見越した様に少し退いて自由を与える。テルがほんの少し息継ぎをしたのを見計らって、再び深いところまで追いかけて奪う。必死に応えようとするテルを嘲笑うように、追いかけて追い詰める。
途方もなく甘い愛撫で、北見はテルを簡単に翻弄してしまう。
テルの思考が奪われる寸前、北見はあっさりとキスをやめた。あっと言う間に放り出されたテルがついていけない内に、彼は押し倒される。
「………!」
それの意味するところを一瞬で理解したが、キスの余韻がテルの動きを阻み、北見に易々と押さえ込まれてしまう。
「あの……ちょっと……!」
「祝うつもりはあるんだろう」
「いや、ある! あります!
あるけどちょっとっ……あの、ベッド!」
テルには抵抗をする気ははなからなかった。
ただ、勢いのままに情事に耽けこもうとする北見は、明らかに冷静さを欠いている。
いつもならじっくりと服の上から撫で回し、こちらが我慢できなくなって、羞恥に耐えながら服を脱ぐ姿を愉しそうに見ているのに、今日はシャツの前がほとんど肌蹴られている。わざと煽ってきて、助けを求めようとすると情事の最中であるにも関わらず、冷静な声で淡々と「我慢を覚えろ」などと意地悪をしてくるのは北見だ。理性が服を着て歩いている男が寝室以外でことに及んだことはないし、テルにもそれを強いた。
「ベッド……行かない、んスか?」
熱に震える声を嘲笑うように、北見は彼の鎖骨に口付けを落とす。
「今日ぐらい見逃せ」
「……は?」
耳に囁かれた言葉に、いつもの北見らしからぬ幼い響きを受け取ってテルは目を丸くした。
「今日は、特別な日なんだから」
「北見、子どもみたい」
思わず噴き出したテルを軽く睨み付ける北見は、照れ隠しなのか単に不満なのか、むっと口を引き締めている表情が可笑しくて、テルは声に出して笑ってしまう。そんなことをすればしっぺ返しで泣きを見ると分かっているのに、己の軽率さをいつまでも改められないテルは、今日もまた墓穴を掘り続けるのだった……