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夏が終わる前に、夏回収。黄昏時の後だから、夕闇かな。
小さな神を慰めるための花火大会はとても質素で、実に厳かだったと言っても良いのではないか。
そんな皮肉を投げかけようとした北見は、焼き鳥を口に運ぶのも忘れて天上の花に見入るテルの横顔にうっかり毒気を抜かれてしまった。
結局そのまま、空のとりどりの色に照らされる熱心な表情を追うのに夢中になっていたことに気づいたのは、花火大会終了の放送を聞いたテルから『綺麗だった』と満面の笑顔を向けられた時だった。
「そうか?」
「花火見るの久しぶりだったけど、あれ見ると、やっぱり日本人だなーって思うよな!」
北見は我に返ったことに気づかれたくなくて、白けた口調を装って誤魔化すが、テルは彼の些細な嘘など気づきもしないし、実際はどうでも良いように思える。とにかくこの感動の余韻に浸り、誰かに伝えることに必死なのだ。
「来月の祭の花火の方が、よっぽど派手だろう」
毎年、夏の終わりには盛大な市民祭が開催されていて、企業の虚栄心を満足させるだけの花火大会はまさに圧巻だ。祭が盛大であればあるほど、医者の仕事も増えるものだから、北見にとっては「HOTで忙しい夜」の認識しかない。
「それは去年見た! すっっっっごかったよなー!
今日のはなんてーか、控えめで良かった!」
テルの美徳は、その限りないポジティブ思考にあろうか。北見には、予算の少ない町内会の貧相な名前ばかりの花火大会だとしか評価できなかったが。たとえ期待に反した肩透かしな結果だったとても、テルは側面から見たものを手放しで褒める。さらにはそれが心からの賛辞なのだから、北見には眩しくさえ思えてしまうのだ。
見ものの花火が終わってしまうと、見物客は波が引くように帰路に散る。
途端に寂しくなる屋台の通りを眺めるテルの名残惜しそうな視線は、しっかりと焼きソバに注がれていた。通りを歩く間だけでも、カキ氷から唐揚げやらを買い込んでは北見が心配になるほどの食いっぷりで平らげていたと言うのに、なおもこの上食べる気かと、見ているだけで吐き気を催しそうになった北見は呆れてしまう。
結局こいつは色気よりも食い気なんだなと、北見は内心で嘆息を漏らす。そして胃と財布とどちらと相談しているのか、難しい顔でのテルを尻目に、焼きソバを一パック購入し、呆気に取られているテルに袋を突き出して受け取らせる。
「もう良いか?」と、半眼で渡された焼きソバを一瞥したあと、なぜか目を輝かせるテル。
「りんご飴も!」
「それは自分で買え」
即答で却下した。
結局、りんご飴と綿菓子とイカ焼きを買わされた(財力が及ばなかったので立て替えさせられた)北見と、大収穫にご満悦のテルは人の波がすっかり引いた駐車場で足を止めていた。と言うのも、次から次へと収穫物を片付けてしまうテルに対して、北見が車中で物を食べることを禁止したからだ。
車で食べずに家で食べろと叱る北見だったが、テルはどうしても祭の空気の中でうんぬんと、ここぞとばかりに意味不明な精神論を持ち出してくる。いや、精神論などおこがましい。ただの子どもの我侭に他ならない。
とにかく、それならば焼きソバは駐車場で片付けろと植え込みの縁石に座らせて、北見はやることもなしに外灯の下で寂れた町並みを眺めていることにした。もうテルが物を食べる姿を見るのには飽きてしまっていたし、胸焼けすら覚えてしまったから仕方なしに。
時間も手伝ってか、町はすっかり静まり返っていた。
商店街の駐車場にも彼ら以外の気配もない。ただ、夏の夜にありがちな遠くの喧騒と、どこかで盛り上がっているらしい花火の音が生ぬるい風に運ばれてくるだけだ。
太陽が沈んだことで殺人的な日差しからは免れたとは言え、今日も寝苦しい熱帯夜なのは間違いなかろう。じわじわと沸いて出るような汗が非常に不快だ。帰ったら真っ先にシャワーを、と決めた北見が視線を転じると、焼きソバを完食したテルが、腕に提げた空の容器に向かって合掌をしているところだった。
「ごちそうさまでした」
小さく漏らしたそれを苦い思いで聞きながら、北見は呼びかける。
「テル」
「はい?」
立ち上がって尻の汚れを叩いているテルだったが、北見には口の横を汚すソースの方が気になった。
残念ながら当人は気づいていないようなので、彼は思わずテルの顎を掴んで顔を上向かせる。
「!!!?」
さすがに驚いて目を見開くテルが反射的に逃げようと腰を退いたところで、顎を持つ手に力を込めて軽く押す。すると、後ろに退きかけていたテルの足は、押されたことに反発して前に踏ん張る。そうして、逃亡の機会を自ら絶ってしまったテルが引き攣った表情を浮かべると、北見はひそかにほくそ笑んだ。
診察台の上から逃げようとする犬か猫を、台の縁で引っ張る代わりに押せば、落とされまいと慌ててしがみついて来る、と言う話を試してみただけなのに、こんなにうまく成功するとは思っていなかった。まるで動物のような反応をすると笑う北見の気分はよくなった。
不安そうに見上げてくるテルの視線を避わして、北見は彼の口元を汚すソースを舐める。
テルが身体を跳ねてびくついても、今は北見の神経を苛立たせない。何しろ今はとても愉快だ。屋台の安っぽいソースの味も、汗で湿ってしょっぱいテルの肌も気にならない。
舌でソースを舐め取ってしまっても、名残惜しいと言わんばかりに北見はテルの口元を甘噛みまでする。そうなるともう唇への接触は当然だ。北見の手管にすっかり慣らされたテルは、愛撫からスライドしたキスに気づかずに受け入れさせられる。
この二人にとって、キスは北見が望む接触の中で一番大人しいものだ。
これより進むと、テルの意思は無視されてしまう。
北見らしからぬ柔らかな接触に浸っていると、強烈な熱にずるずると引きずりこまれる。そして、気づいた時には後戻りできない場所まで落とされていて、テルはもがくことも許されず、ただ北見のものにされるだけ。ともすれば乱暴とすら感じるほど強引にことを進めようとする北見に対して、テルはいつも我慢してきた。心も体も痛みを伴わないキスは、我慢を強いられない唯一の行為だ。
それが今までの二人で、その関係はテルを酷く怯えさせ、北見の神経を酷く苛んだ。
しかし、そうした悪循環を断ち切った転機以降、テルの怯えは明らかになりを潜め、北見の苛立ちも薄らいだ。
テルにとってキスは、痛みを伴わない唯一の接触ではなくなった。
北見にとっても、行為に雪崩れ込む合図ではなくなったし、互いの我慢も要さなくなった。
これまでこじ開けていた口の中に、今は易々と舌を差し込める。ゆっくりと咥内を味わい、唇で甘噛みをすると切なげな溜息が北見の耳に届く。それを心地良い思いで聞いていると、シャツの胸元が強く掴まれ、足元を支えられなくなったテルが必死でしがみついているのが分かって、北見をさらに上機嫌にさせる。
「……は、…ン」
とうとう堪えきれなくなった声が漏れる頃に、北見はテルを解放してやった。
テルは夜目にも明らかに、頬を紅潮させて深呼吸をして気持ちを落ち着けている。シャツは掴ませたまま、唾液で汚れた口元を拭って、北見はまだ呆けているテルを見下ろす。
「それで、どうする?」
「…………?」
問いの意味が分からずに疑問符を浮かべていると、北見は彼の手に提げられているビニール袋を取り上げて、手近なゴミ箱に捨てに行く。困惑しているテルに、被せるように声を投げる。
「アパートに帰るのか、ウチに来るか」
ゴミを放り捨てて、またあの長い足を大股に、数歩で戻ってくる。
その短い間に答を用意しておけと言う意味を、テルはきちんと言外に読み取っている。
北見がテルに再び尋ねるまでもなく、彼は気恥ずかしそうに、けれど迷いのない瞳を輝かせて、夜には似つかわしくない声量で、
「北見の家!」
と騒いだものだから、直後に鉄拳が叩き落されたのは言うまでもない。