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亜精霊とおっさん。本当はこれをだらだら連載みたいな漫画で描きたかったんですけど、猫むつかしいよね! ってことで諦めたのでした。俺得。
ともすれば空耳と聞き流してしまいそうなほど軽い足音だったが、「彼」は石畳の街並みの隅っこで死に物狂いで走っていた。いや、逃げていた。背中から感じる尋常ではない殺気に駆り立てられて。
捕まったら文字通り食われる。
そうでなかったとしても、暇つぶしの玩具にされていたぶり殺されるのは明白だ。
「フシャー!」
すぐ後ろから聞こえる地獄から響いてくるような唸り声に恐ろしさで足がもつれそうになるが、実際、もう「彼」の体力は尽きかけている。失速、転倒、餌食の構図は最早免れない。だが、だからこそ、必死で抗うために「彼」はガチガチと噛みあわない歯の根をしっかりと食いしばって、死の恐怖に耐えた。
振り向くな振り向くなと頭の中で繰り返し呪詛をかける「彼」の長い尻尾の先に、とうとう悪魔の爪先が伸びた時、堪えていた涙が眦からどっと溢れ出た。
それでも必死に振り向かずにいた「彼」の背後から、覆いかぶさる黒い悪魔の影。
ああもうだめだ、と。長いだけの人生が駆け巡ることもない。命が終わる瞬間の走馬灯は、やはりヒトではない自分には巡らないのかと、もう指先一本動かすちからもなくなった「彼」は自嘲を漏らした。
最期に別れを言いたいひと達に自分の末路を伝えることすらできない、と嘆き始めるに至って、妙に死の瞬間が長いことに気付いた。
「…………アレ?」
ぽそりと呟いて、固く閉じていた目をそろそろと開く。
だらんと伸びた自分の身体が、中空にぶら下がっている。何だと頭を回した時に感じた圧迫感で、首根っこを掴まれて持ち上げられていることに気付く。
「あんまり弱いものいじめすんなよ」
すぐ近くで聞こえる声はニンゲンの男のものだ。「彼」は、自由になる範囲で首を曲げて声を窺う。
男はこちらよりも、己の足元を見下ろして難しい顔をしていたが、どうにも見覚えのない男だ。
「フギャー!」
訝る「彼」の耳をつんざくように、悪魔が叫び声を上げて男を威嚇する。びくりと身体を硬直させる「彼」とは対照的に、男はうんざりしたような半眼で溜息を吐いた。
「あー、はいはい……」
「彼」は、男の頭の上にちょこんと乗せられた。自由になった首を軽く振っている間に、男は抱えていた買い物袋からパンを取り出して悪魔に放り投げる。悪魔はこちら(正確にはニンゲンの男)を威嚇しながらじりじりと近寄ってパンを咥えるなり、あっと言う間に走り去ってしまった。
「…………惜しいなー」
「彼」を頭に乗せたまま、悪魔の去った後を追う眼差しで男はぼやく。言葉とは裏腹に、どこか含み笑いを堪えた響きに「彼」が頭を捻ったその時だった。
「ニギャアアー!」
「ハバネロ入りってちょっと興味あったんだけどなー」
通りの向こうで断末魔の叫びを上げる悪魔の声にぞっとしながら、悪魔の上を行く悪魔は、魔王で良いんだろうかと「彼」は思った。
** ** ** **
「カゼネズミか。
話には聞いたことあるけど、実物は初めて見るなあ」
男はのんびりとした声で「彼」を見下ろした。
何を言ったわけでもないのに、自分の種族をさらりと口にした男に驚く。
何度かニンゲンと関わったことがあるが、一目で言い当てたのはこの男が始めてだ。
個体数の少ないカゼネズミ種は、ファルガイアの歴史にも文明にもあまり目立たない存在だからなのか一般的な認知度が低い。せいぜい愛玩用のネズミといっしょくたにされる程度で、人語を解することで初めて彼らが『亜精霊族』と認知される程度だ。
淡い空色の体毛と長い耳と尻尾。丸い目とピンと立ったヒゲとなると、ただのネズミだ。
だから、ヒトの街をうろついていると猫に襲われる。
亜精霊の尊厳もへったくれもないが、ヒトの傍らで生きることを選択した以上は仕方ない。猫も犬も、同じようにヒトと生きているのだから。
男の頭の上に乗せられたまま入った建物は、ニンゲンの世界で言うところの宿の一室のようだった。通りすぎる間中、他のニンゲン、特に子どもから好奇の眼差しが注がれていたが男は一切取り合う様子もなく、部屋に戻るなり「彼」を掴んでテーブルの上に下ろした。
「二足歩行すんのか」
二本の足で立っていることに男は感心したように呟いたが、そんなに興味があるわけでもなさそうだった。それから、男の手の平より少し余る程度の「彼」の小さな体躯を上から下まで眺め下ろして、「彼」の種族を言い当てた。
「……あの……」
「彼」は訳がわからなかったが、とりあえず、礼は言っておかなければと思った。
かたちとしては「助けられた」ことになるのだが、良く考えてみればニンゲンに「捕まえられた」とも言える状況だ。ニンゲンに捕まる場合、子どもであれば玩具としてもみくちゃにされ、大人には商品として売られるか、どちらにしろ「彼」にとって楽しいことにはならない。
だが「彼」にはどうしても、この男から悪意を感じることができなかった。
「ありがとう……」
「ああ、気にすんな。
俺もあいつにはやられたからな」
「……………?」
首を傾げる「彼」の疑問に、男は口の端を歪めた。
「外で飯食ってたら、肉とられた」
「……それは」
ドン臭いだけじゃないのかと、うっかり口走りそうになる言葉を喉で飲み込んだのだが、男はそれを読んだように険しい表情をしてはっきり否定する。
「違うぞ。あいつには街の人間ほとんどが被害に遭ってる。
カラスでさえあいつを避けてんだぞ。
ゴブぐらいなら一撃だ、あの魔王」
その魔王に、凶悪な唐辛子入りのパンを与えたのは誰だろうか。「彼」の無言の非難に、しかし男は実に充実した笑顔を浮かべた。
「ここ二、三日、自腹はたいた高い肉盗られてたんだぞ。
そしたらあっちが勝手に餌係だと勘違いしやがって、
勝手にハバネロ食っただけじゃねえか」
男は小物悪徳商人のような薄暗い笑い声を上げる。罠に仕掛けるためだけに高い肉をわざと盗らせていたとしか思えない。やはりこの男は魔王だ。
「俺はあの悪魔は『ラギュ・オ・ラギュラ』の名を
冠するに相応しいと思うわけだ」
「……百魔獣の王かー」
「アンゴルモアと悩んだけどな!」
「………魔王はオイラの目の前にいると思うよ」
「まあ魔獣でいいよな。獣だし」
すぐにどうでもいいことのように片付けてしまった男は一仕事を達成できたからか、どこか弾むような動きで買い物袋の仕分けにかかった。
「彼」はその様子と、部屋を観察するくらいしかやることがなく、テーブルの上にぺたんと座り込んでぐるりと首を回す。
ニンゲンの街の宿は、どこも大体似たようなつくりだ。「彼」は宿の相場も知っているが、清潔さと広さから言ってもそうは安くないだろうと思われた。どこも同じ、一人用ベッドとテーブルとクローゼットと小さな戸棚、あとは壁にかけられている澄ました貴婦人の油絵と、花のない花瓶。
しかし「彼」の気をひいたのは、一般的な宿の風景ではない。
カーテンから漏れる昼の日差しを避けるように陰に追いやられた、ひとかたまりの荷物。
部屋に入った瞬間から、毛先に感じる微弱な静電気の気配は、「彼」にも覚えのある感覚だった。
「あれARM?」
「彼」の小さな指が差す方向と「彼」とを交互に見比べた男は、薄っすらと苦笑いする。
「やっぱり分かるのか」
「知り合いが、ARM使いだったからね。
あと、精霊達がちょっと嫌がってる」
へえと感心するように呟いて、しかしやはり深い興味はなさそうだった。今の男には、買った物を仕分ける方が大事なことのように思えた。
「あんた、ARM使い?」
「ん? いや。俺は修理するほう」
「マイスターってやつかい?」
「カゼネズミは物知りって本当なんだな」
軽く口笛を鳴らして感心したように呟く男の言葉に、「彼」は気分が良くなる。
垂れた長い耳をぴんと立たせて、小さな胸を自信たっぷりに叩いて見せる。
「まあ、伊達に長生きしてないからね」
「なんだ、そんなこと言うような年齢なのか」
「聞いたら、オイラのこと崇めることになるよ」
「えー……崇めちゃうの?」
困ったように眉間に皺を寄せる男との会話ですっかり緊張がほぐれた「彼」は、調子を取り戻していた。
「オイラはカゼネズミなんだ。
尊い西風と同じ眷属なんだから」
「そよ風ですか」
「彼」は、胸を張って腕を組んだうえに、片足でぱんぱんとテーブルを叩く。一緒に尻尾も主張に激しく毛を逆立てて、実に遺憾と言いたげに鼻息を漏らした。
「オイラはハンペンだ!」
「………………」
「ちょっと……何で後ろ向いて肩震わせてるんだよ」
「……………いや、ちょ……ちょっと……」
震える声で必死に言葉を紡いだ甲斐もなく、最終的に盛大に吹き出す男。
「なんだよ!」
「……いや、その……ちっちゃい竜巻ですね……」
「身体の大きさとかカンケーないの! 存在感!」
「野良猫に食われそうになる竜巻とか斬新ですね。
さすが亜精霊」
何となく半眼で見つめてくる男の視線から、ハンペンは顔を逸らす。
どうでもいいことだが、ラギュ・オラギュラなら竜巻やハリケーンでも食ってしまえそうではある。
名前の由来を当てられたことにはもはや驚かなかった。
古代語の研究をしているニンゲンは少なくはないし、それを差し引いても、何だかこの男が何を知っていても不思議に思えなくなってきたからだが、男の次の言葉で、ハンペンはやはりこの男もニンゲンなんだと思った。
「ところでカゼネズミって何食?
雑食? 虫とか食ってんの?」
「害獣とかと一緒にすんない。
オイラは菜食主義者だ」
ひどい言われように再び尾を逆立てて抗議するハンペンを尻目に、男は顎を擦りながらわざとらしく虚空を眺めて独り言のように呟いた。
「あれー? 通りで見た時は、残飯の魚の骨を
ラギュ・オ・ラギュラと取り合ってたような気がするがー?」
「見てたんなら、その時助けてくれればいいだろ!」
「だから、大急ぎでパン屋に焼いてもらったんじゃねえか。
わざわざ探し出してやったんだぞ」
「餌食になってたらどう責任とってくれるつもりだったんだよ!」
「うわー、義理もないのに助けてくれた相手に逆ギレ。
眩しい、亜精霊眩しいよ」
ハンペンにすれば、復讐心を出さずに見ていたその時に助けてくれればいいのにと思うし、男にしてみれば、助けてやってついでに効果的に仕返ししただけなのにその言い草、と言ったところか。
正直、どっちもどっちなのだが。
「なんだ、虫は食わないのか……」
なぜか残念そうな男の声に、胡乱な眼差しを送って精一杯の否定を体現しておく。
「食うんだったらそう言うテーマで研究してみようって気になったのになー。
食わないのかー……」
何を期待しているんだこの男は。
男は少しの間、本気でがっかりしたらしく肩を落としていたのだが、やはりすぐに飽きてしまった。興味のないことに無関心と言うよりは、振り幅が少ない男には一定の感情が長続きしないように感じる。
「リンゴ食える?」
ハンペンの目の前に置かれた、彼とほぼ同じ大きさの赤い果物。
勿論、腹は減っている。そもそも、食糧調達でしくじったせいであの追走劇が始まったのだ。
今まさに、眼前で甘酸っぱい芳香を漂わせている果実が転がっていることに、ハンペンは戸惑った。ぐうと鳴る腹の音は気付かなかったようだが、男は自分とリンゴとを見比べているハンペン見て「食っていいよ」と素っ気なく告げた。
一応「いただきます」と、リンゴに礼儀正しく頭を下げて思い切り歯を立てた。
しゃくり、と口の中がきゅっと縮んでしまうような酸味と、いっぺんに溢れ出る瑞々しい果汁。果肉を咀嚼するのも惜しくて、夢中で齧りつくハンペンを見下ろす男は、いつのまにか引っ張ってきた椅子に座っていた。ハンペンの食べっぷりに感心するような眼差しで、肩越しに背後を指差す。
口の動きは休めずに目で追いかけると、ニンゲンの両手ほどの大きさの籠に詰まれたリンゴの山。
「安かったんで買いすぎた。
でもよく考えたら、リンゴってあんまり食わねえのな」
「あんたみたいなニンゲン知ってるよ……」
「ニンゲンだって、梨食いたくなる時あるぞ」
「…………」
分かっているくせに、わざととぼけたことを言い返してくる。
いいや、と、とにかく食欲を満たすことに集中する。久し振りに味わうリンゴの甘みは、それまでの空腹と疲労さえ癒してくれるようだった。そしてすぐに腹をぱんぱんに膨らせたハンペンの足元に、すっかり果肉を剥ぎ取られたリンゴの芯が転がるのだった。
腹が満たされて人心地つけた辺りで気付けば、この部屋の主は椅子に座って本を広げていた。
ハンペンは小さく頭を捻る。
ニンゲンてものは、年がら年中、日の高いうちは働いているものだろう?
色んな仕事があるけれど、少なくともこの時間で遊んでいるのは子どもくらいだ。
「……あんた、仕事してないの?」
「ん? さっき言ったろ。
マイスターやってるぞ」
「でも、どう見ても仕事してる感じじゃないけど」
「ばかだなあお前。
仕事なんか納期前にだけやるもんだぞ」
「…………大人のクズだなー。
て言うか、マイスターってお店持ってるんじゃないの?
やっぱり嘘なの? ただのニンゲンのクズなの?」
ハンペンなりのクズランクを聞かされた制か、男は少し嫌そうに眉を顰める。
「店のほうが常客がつきやすいってだけだろ。
渡り鳥でも食えないことないしな。正直、ウエイトどっちか分からん」
「渡り鳥やってんの? なんで?」
渡り鳥にも様々あるが、大抵は普通の仕事にあぶれたニンゲンが荒野に飛び出すか放り出されるかした、所謂『ならず者』と言う認識が強い。定職に就いていながら渡り鳥業をやっているなんて、物好きか頭の足りないやつかのどっちかだ。とハンペンは思っている。
男は、ハンペンの疑問に素直に戸惑ったようだった。
「なんで、って……どっちも理由なんだよ。
遺跡の発掘して研究したいから渡り鳥やってるけど、
それだけじゃ実入りがないからマイスターで副業」
「あんた、もしかすると……………学、者?」
「……何でそんな信じられないって顔されにゃならんのだ」
「いやだって、何だか繊細さに欠けるじゃないか」
「繊細って……」
随分な言われようだなあ、とぼやくものの、実際は大してダメージを受けた様子もない。
やはりこの男は飽きっぽいのだろうか。
「渡り鳥って感じもしないよなあ。
真っ先にゴブに丸焼きにされてそうだし」
「ゴブと言えば、あいつらが豚を丸焼きにしてた時は
そりゃあカルチャーショック受けたもんだ……
意外にいいモン食いやがってたし」
「………あんたの研究って、魔獣の食糧事情だったりするの?」
「昔似たようなことはやったことある。
ある、が、需要がなくて助成金が下りなかった。懲りた」
なるほど、学者だ。周りのことが見えていない辺りが。
「それよりお前、この街に住んでんのか?」
呆れたような溜息を漏らしていたハンペンは、はっと表情を変えた。
愛嬌のある丸い黒目が途端に翳ったことに、男は首を竦める。
「迷子か」
「そう言う言い方もちょっと……
はぐれた、とかさあ」
迷子じゃねーか、と鼻で笑われる。
「じゃあお前、またよそに行くのか?」
「……わかんない」
カゼネズミは、生涯ひとりの主人だけに仕えて生きている。
はぐれたと言うことは、別のどこかに主人がいる。今、ハンペンが野良猫に追いかけられていることを知らない誰かがいる。彼が一匹で生きている限り、主人を探し続けることだろう。
「アテは?」
「……わかんない」
「じゃあ、まだここにいるのか?」
「………わかんないよ、そんなの」
ひとりごちる声に力はない。
この広い荒野で主人と引き離された彼にできることは、生きることだ。主人の影を追い求めて、ファルガイアを彷徨う。それは、カゼネズミの小さな身体でなくとも途方もない旅だった。
「でも……探さなきゃ……」
自分に言い聞かせるような独白を拾ったのは、読んでいた本を閉じた男。
「俺はもうしばらくここで仕事するんだ。
その間はこの部屋にいる。用事がなけりゃな」
「ふうん?」
「もし、お前もまだこの街に留まるんなら、
その間はリンゴ食っていけよ」
「…………へ?」
間抜けな声を出してハンペンは男を見上げた。
黒い丸い瞳が、いっそう丸く見開かれる。
「そんでリンゴに飽きたら、街を出ればいいさ」
「…………………」
ハンペンが申し出を整理している間に、さっさと興味を失った男は再び本を開いてしまう。
ハンペンにはまだこの男のことはよく分からない。
一時間ほど前に会ったばかりで知っていることは、とんでもなく堕落しきった学者であること。学者であるにも関わらず、考えて行動すると言うことがあまりできないこと。魔獣を凌ぐ魔王のような一面を持っていること。
そして、ひどくお人よしであること。
何となく、これだけ分かっていれば充分なのかも、と思う。
ヒトと深く付き合うのは嫌いではない。何せ、カゼネズミはヒトに拠って生きているのだから。
「まあ、食べてやらないでもないよ。
でも、誤解しないで欲しいんだけど、
あんたが困ってそうだから助けてやるんだよ? 感謝してよね」
「………眩しくてたまりませんなあ」
「何か言った?」
「いいぇえ、亜精霊さまのご加護うれしいなーぁ」
男の言葉はまるきり棒読みだったが、ハンペンはそれを指摘するのも馬鹿らしいと諦めた。
これ見よがしに溜息を吐いて、ふと思い出す。
「そう言えば、あんた名前は?」
「ん? 俺?」
男は、紺色の瞳を笑みに細めた。
「ゼペットだ。
ゼペット・ラグナイト」